大谷真樹オートルート・アルプス日本人初完走の舞台裏。

「世界で最も登り最も過酷な自転車レース」として熱狂的なファンを多く持つオートルート・アルプス。しかし、自転車レースやヒルクライムをやったことがない人には、どれだけその挑戦のハードルが高いものなのか、海外レースを走るとはどういうことか、なかなか伝わりにくい。その血と汗と涙の7日間(2013年8月18日〜24日)すべてをチーム・マネージャーが解説する。

オートルート・アルプス  走行距離866㎞、獲得標高2万1400メートル。わかりやすくいうとエベレストに2・5回、自転車で登るに等しい厳しさである。地元・階上岳に換算すると、毎日あのヒルクライムコースを7回登ってやっと、オートルートの1日分になる…。
 今年完走すれば日本人初と聞いて参戦した八戸学院大学・大谷真樹学長。その完走を実現するため、特別プロジェクトチーム「チーム・トーゲ」が結成された。メンバーは元アテネオリンピック代表でブリヂストン・アンカーのプロライダーとして長く活躍した田代恭崇氏と、自転車歴20年以上のベテラン、人気俳優の筒井道隆氏。二人ともアラフォー、大谷学長はチーム内唯一の50代、最年長ライダーだ。
 「やり遂げることを、学生たちに伝えたい」と学内外に挑戦を宣言して自らにプレッシャーをかけた。1月から大好きな酒もアイスクリームも絶ち、体重を6kg絞る。超多忙ゆえ朝5時から1時間練習時間を確保、週末には富士山・乗鞍・八甲田山合宿などで体を鍛えぬいてきた。オートルートのコースを1日走るだけで、並のサイクリストは音を上げる。だから、トレーニングで疲労に耐えて走り続けることを学んだ。7日間の苦行を耐えてゴールの喜びに変えるために、大谷学長は8ヶ月間、毎日の積み重ねで心身をつくりあげレースに備えた。

スタート前夜

スタート前夜  スタート前に一番大事なことは「時差ボケを解消すること」「海外環境になれること」。
 夏のヨーロッパと日本の時差は7時間。時差ボケが解消されないと、徹夜明けのようなだるさのままレースを走ることになる。またレースに入ると周囲は皆英語かフランス語の会話。道路は右側通行。この環境の変化に慣れずに緊張しっぱなしのライダーも、実は多い。
 しかし大谷学長は終始リラックス。チームメイトと合流して開口一番「暑い。ジェラート食べたいなあ」。過酷なレースに備え体内にグリコーゲンを蓄積するカーボローディングという名目で今やっと、好物を好きなだけ食べられるのだ。フレイバーを選ぶ顔は真剣そのもの。レース登録する選手村でゼッケンを手にし、会場を回るさまは、祭りにワクワクする夏休みの子供のようであった。

ステージ1 ジュネーヴ→メジェーヴ 距離:153km 獲得標高3,300m。

ステージ1  スイスはジュネーヴにあるレマン湖をいよいよスタートしてフランスに入る。
 初日は高揚感でスピードを出しすぎてへばるライダーが多い。だが、大谷学長はいつもどおりに見えた。彼にとっては日々積み重なっていく疲労を52歳の回復力でどうしのいでいくのかのほうが、重要課題。だから無理して前に出ようとせず、自分のペースで粛々と走った。とはいえ、スタートしてわずか25㎞でゆうゆうと小用を足している間に最下位となり、慌てて200人抜いたのはいささか肝が太すぎるのだが。ゴールした後も「途中まで一緒だったんだよね」とチームメイトの筒井道隆の様子を気遣い、彼が到着するまでの1時間、体が冷えるのも顧みず、ゴールゲート脇で待っていた。

ステージ2 メジェーヴ→ヴァル・ディゼール 距離:111km 獲得標高:3,500m

ステージ2  初日だけで111人もリタイアし、ライダーの数は一気に489人まで減っていた。
 そしてこの日のコースは距離こそ短いが、きつい斜度を苦手とする大谷学長にとっては厳しい。全体の4割が斜度10%以上、最大17%。きつい斜度で知られる富士山を6回以上登るようなもの。最後の峠を登り始めた大谷学長に声をかけると、自転車が一瞬ふらついた。だがすぐ力強くOKサインが出た。
 「途中、ロイヤルネイビー(英国海軍)のジャージを着た同じ50代の二人組とバトル合戦になったんだけど、ゴールは僕のほうが先だった(笑)」同じくらいのペースで走る顔見知りも出来てきた。

ステージ3 ヴァル・ディゼール→セル・シュヴァリエ 距離:164km 獲得標高:3,400m

ステージ3 「マラソンステージ」と呼ばれる160㎞超のタフな一日。大谷学長は前夜から原因不明の下痢が続き、背中のポケットにトイレットペーパーを入れてのスタート。しかもこの日最初のイズラン峠は気温3度と猛烈に寒く、下りで吐く息は白い。だが谷に降りれば気温は真夏、30度近い。元プロで五輪代表の田代も体調を崩すような寒暖差の中、なんとかゴール。
 元々、自転車での疲労が内蔵に出やすいという自覚があった。だが、食欲がなくても、食べて寝ないことには明日につながらない。チームメイトの筒井に正露丸をもらい、しっかり夕食を食べた。
 「凍る指を片手ずつ股間で温めながら下ったよ(笑)」とディナーで同席のオーストリア・ロシア・カナダのライダーたちにネタを提供する余裕を見せた。しぶとい52歳。

ステージ4 セル・シュヴァリエ→プラ・ループ 距離:119km 獲得標高:3,000m。

ステージ4  第一ステージの疲労さえまだ抜けきっていない体に、下痢、さらに毎日6時間〜8時間自転車に乗っているのでサドルとの摩擦でお尻の皮が剥け、この日からオロナイン軟膏が欠かせない状態に。そのため百戦錬磨の自転車乗りである大谷学長も水分補給のタイミングを誤るミスを冒し、脱水でふらふらの危険な極限状態に。それでも、顔見知りになったカナダチームに励まされるなどして、なんとか最下位グループでゴール。大谷は夕食に胃腸にやさしいクスクスを選び歓談する仲間より早く席を立ったが、しっかり好物のアイスクリーム屋に寄って帰った。

ステージ5 シム・ド・ラ・ボネTT 距離:23km 獲得標高:1,562m

ステージ5  イタリア国境に近いプラ・ループの町は快晴。山岳TTと呼ばれる短いコース。TTとは決められたコースを時間計測するレースで、大谷学長が毎年挑戦している岩木山ヒルクライムに似ているが、一人ずつスタートする点が違う。
 この日も疲労が溜まった胃腸の調子は最悪。登りに入ってすぐ気分が悪くなり朝食のクロワッサンを吐き戻してしまう。が、気力で走り続け、前日からの順位を大幅に上げる好タイムでゴール。久しぶりに笑顔が戻った。
 誰よりも早くチームメイトの田代元五輪代表のリザルトをチェック、健闘を讃える。
 自分へのご褒美、とアイスクリームを食べながら街を散策しふと見上げると「あれは僕がさっき洗濯したジャージだな」
 実はジャージと、自分が乗る自転車の準備もライダー自身でやらなくてはならない。
 この日はコースが短いため、格好の洗濯日和! ホテルの窓にはジャージが万国旗のように翻っていた。

ステージ6 プラ・ループ→オーロン 距離:143km 獲得標高:3,800m

ステージ6  7日間で最も獲得標高がある辛いステージ。レースが始まって以来初めてよく眠れたという大谷学長だが、しかし、前日までの体調不良が影響しすでに脚があまり回らない。
 自分のペースでゴールを目指す。この日のコース、下りも実に3800m。急な角度のつづら折れの曲がり角を慎重に下るが、集団落車に巻き込まれてしまう。が「八戸蕪島神社のお守りのおかげで怪我なく助かった!」とあくまでポジティブ。
 落車のときに膝を強打、ゴール直後からアイシングが必要だったが、リタイアという言葉は絶対に出てこなかった。

ステージ7 オーロン→ニース 距離:169km 獲得標高:2,900m

ステージ7  ゴール地点のニースで嵐の予報が出、前夜コース変更が告げられたとき、一番ほっとしたのは大谷学長ではなかったか。前日の膝の強打すら気にならないほど脚はとうに限界を越え、毎日気力だけで走っていたからだ。
 得意の平地が増え42㎞の登りのみの計測。
 チームメイトとゴールゲートをくぐったあと、大谷は教え子にもらったボトルを高く掲げた。辛くて下を向くとボトルケージが目の前にある。書かれたメッセージが目に入り、ペダルを踏み続けることができた、と。
「これで禁酒はおしまい。浴びるほど酒を飲むぞ」と笑う。
「一番、というのは塗り替えられるけれど『初』というのは永遠に変わらない。日本人初完走、光栄です」
 大谷学長は、やり遂げたのだ。