素直な心が、困難を打ち破る。
  〜 桂小文治「100年の言葉」

2008年11月に行われた八戸市南郷区文化ホール こけら落とし落語会に出演した八戸出身の落語家・桂小文治師匠。 桂文治師匠の内弟子時代から真打ちになるまでの道のりをうかがった。
桂小文治

■大学落研から噺家の道に

八戸出身の落語家・桂小文治さんが落語の世界に飛び込むきっかけは、専修大学の落語研究会に勧誘されたこと。八戸で過ごした少年期は落語というものを 全く知らず、知ってる噺家は、テレビによく出ていた林家三平師匠ぐらいだった。
 「最初は入会を断ったんですが、その次の日かな、後ろから岡崎有紀(当時のアイドル)に似た落研の一級上の先輩に呼び止められまして『入らなかったの? ねえ~入ろうよ』『・・・じゃあ、入りますっ!』なァんてね。当時、私は岡崎有紀の大ファンだったんですよ(笑)。
 入って一週間で、その先輩には落研OBの婚約者がいたということが分かって愕然としましたね。大人の世界を知りました(笑)」
 そのまま落研に在籍。部員は目立つ事を率先してやり、馬鹿みたいな事も平気でやらなければいけない。今までとは違う新しい体験だった。
 「八戸の頃は前に出ず、引っ込む事が美学だったのに、何でもどんどん前に出なきゃいけなくなったんです。小田急線の電車の通路に新聞紙敷いて、小噺演らされたり、ラッシュ時に八戸小唄歌わされたり(笑)」
 人前に出る度胸はついた。
落研では、落語一席を覚える他に発声練習や早口言葉をやったり、3分間スピーチを発表したりする。
「雷が怖いね・・・ナルほど。お坊さんが通るよ・・・ソウかい。最初覚えるのはこんなもんですよ(笑)。鳩が何か落としてったよ・・・フーン。卓球ですか? ピンポン!(笑)」

■桂文治師匠の芸に惚れて

就職活動が始まる大学三年の後半、噺家になる決意を固める。
落語会は当時、落語協会(柳家小さん会長=当時)と落語芸術協会(桂米丸会長=当時)があった。
いつもは落語協会出演の寄席ばかり行ってたが、たまたま招待券が手に入り、芸術協会出演の寄席に行って驚く。自由闊達で面白い。芸術協会の寄席に通い始める。中でも一番光っていた桂文治師匠の芸に惚れた。弟子になるならこの師匠しかないと決め、八月に師匠の門を叩く。
「よく、人情噺ができなきゃいけないと言われるけど、うちの師匠は滑稽噺中心で爆笑をとる芸風です。落語そのものでお客様がひっくり返るほど笑わせる人ってなかなかいないですよ。入門してすぐ分かりました。私は師匠のように出来ない(笑)。師匠は好き勝手に遊びながら噺を演っているように思われますが、これはすべて修行で培ったものです。マンガチックな演出も全部計算されてますからね。落語は奥が深い。」
 西武池袋線「ひばりヶ丘駅」から十数分歩いて師匠宅を訪ねた。
 一回目、おカミさんしかいなくて、「絶対無理だからやめたほうがいい」と諭される。
 二回目、初めて師匠に会って「大学出てる奴はろくなモンがいない。帰んな」で門前払い。
 三回目、「お前、これだけ人が嫌がってンだから来るな!」と怒られる。
 四回目、やっと家に上げてもらえる。
 「たいがいは途中で諦めるでしょうが、私はこれしかないって思ってましたからね。師匠から、何故落研出身はだめなのか、『変な癖がついているし訛があるだろ、そういう奴は駄目なんだ』など二時間ぐらい説教されましてね(笑)。それから、『じゃお前、何かちょっと演ってみろ』と言われ『つる』を演ると『余り訛はなさそうだな、次はいついつ来い』と言われました」
 それから何度か通ううち、突然「お前の名前をプログラムに入れておいたから」と言われる。
上野本牧亭での恒例の桂文治独演会である。
 一、子 ほ め  亭  治
と書いてある。これは「子ほめ」と言う落語を「亭治(ていじ)」が演ると言うことである。
 つまり亭治と言う芸名をもらった事になるのだが、「入門を許す」とは言われない。とにかく師匠に三べん稽古つけてもらい、短い期間で必死に覚えた。
 「いやあ~当日はしっちゃかめっちゃかでしたね(笑)。」
 大学を卒業して、通い弟子から内弟子になる。
 「今までわがままで甘ったれの私は、師匠とおカミさんにこてんぱんにやられましたね。プライドなんか見事にへし折られましたよ」と小文治さん。
 朝、まだ寝ている師匠とおかみさんが起きないように掃除機を使わず静かに掃除。洗い物をしたり、食事の支度をしたり。寄席に出掛ける前や、寄席から帰って来てからは、師匠やおかみさんの用事をする。
 「自由な時間なんかないんです。必ず何かの用事をします。時間があれば稽古で、ぼんやり何かできませんでした。でも、そう言う色々な経験が、今では私の大事な財産ですね。師匠とおかみさんに心から感謝します」
 内弟子は五十九年まで。
 前座の時、何度か師匠から破門させられている。
 「だんだん慣れてくるとたまに師匠に逆らったりするんです。そうすると、「破門だぁ!」って。たいがい一晩で機嫌が直りますね(笑)」

■真打ち小文治襲名

噺家の二ツ目時代は一番生活が苦しいと言う。
 内弟子だと使い道がないから、ちりも積もればでお金がたまっていく。独立すると、これまでの反動でパチンコ・パチスロなど思いっきり遊び、すぐに貧乏になってしまった。生活の為、一席以外にも色々な仕事をする。結婚式などイベントの司会、バスの団体旅行の盛り上げ役、花火大会の屋形船で、花火が始まるまでの余興。
 「これがなかなか笑ってくれない。やっと笑ったと思うと、花火が上がって皆そっちィ行っちゃうんです(笑)」
 前座が四年、二ツ目が十年弱。
 そして平成五年、三十六歳で真打ち昇進。
 「小文治襲名の件は、最初お断りしたんです。私には重荷ですから遠慮しますって(笑)。」
 新宿末廣亭での披露興行の初日、文治師匠をはじめ諸先輩方が、トリの小文治さんに気を遣って詰めて(持ち時間を短くすること)下さり、普通二十分の持ち時間が、四十五分になった。
 二十分ものは何席かさらっていたが、いきなり倍以上の持ち時間、緊張と不安の中、「大工調べ」を演り喝采を浴びた。
 端正な感じの桂小文治さんは、芸について色々工夫している。
 以前、淡々とやっていた仕草を大きくし、表情も色々変えるようになった。
 「私なりに師匠に近く(笑)演りたいんですが、まだまだ駄目です。もう少し殻を破らなければいけませんね。小さん師匠もおっしゃいました、表現オーバーは、わかりやすくするために必要だと」
 四回目で入門をはたした小文治師匠。弟子の成長とともに自分も成長できるから、弟子がいてもいいかなと思うこともあるが、今の人は「やめた方がいいよ」と一回断るともう来ないそうだ。
 「いればいるで大変でしょうけどね。今の時代は、よほど相手を見極めてから弟子を取らないと。人の了見が変わって来たから」
と、インタビューの最後に話された言葉が深〜く心に残ったのでそのまま紙上採録。

腹の黒い人間になるな。
卑怯な人間になるな。
 それが芸に出る。
 素直な気持ちをもつ奴が強いんだ。

人間の本音は変わらないと思いますが、自分の出し方が違うんじゃないかなと思います。
 今の世の中は、人の事を考えるより、まず自分のことを考えないと務まらない世の中になってきたから、色んな身勝手な者が増えてくると思うんです。
 自分の子供のことしか考えてない傍若無人な親もいるし、周りのみんなの迷惑を考えずに自分が正義だと思っている者もいる。そういう人達をどんどん生み出す社会になりつつあるんじゃないでしょうか。
 やはり他人様のことを考える余裕のある社会にしないとね。 師匠がよく「絶対腹の黒い人間になるな。卑怯な人間になるな。それが芸に出るから。素直な気持ちを持つ奴は強い」と私に教えてくれました。
 私は、学校公演の時は生徒さんに「素直な気持ちを決して忘れないで下さい。それが今後、社会に出て、困難にぶち当たった時に壁を突き破る大きな武器になりますよ」と必ず伝えるようにしています。
 我々噺家の大先輩、名人の言葉にもあります「芸がどんなに良くても、素直な心のない噺家は決して大成しない。」
 ふて腐れて、腹黒くなって、なんでも世の中や人のせいにして、裏を行くようじゃあ悲しくなります。
 人の言ってくれることを「有り難うございます」と感謝し聞く心、吸収する心を持たないと。また、なにか嫌な事、辛い事があったら、それは自分に与えられた試練だと思いしっかり受け入れる気持ちが必要です。
 年を取れば取るほどそれが出来ないし、プライドや欲が邪魔をする事だってあるでしょう。でも、自分を素に戻してみて下さい。とても楽になりますよ。私も常に素直に噺を演りたいですね。
 素直とは素晴しき事。

「素直な気持ちを忘れないで。
 それが困難な時に壁を突き破りますから—」と至極まっとうなコトを語る小文治師匠のお話は、100年に1度の経済危機だと騒がしい世相の最中、すがすがしく新鮮に響いた。
 インタビューを終えて東京に戻られたその直後、平成20年度文化庁芸術祭で大衆芸能部門で優秀賞受賞の朗報が入った。
 八戸出身の江戸っ子、桂小文治は噺家で!
 今日も高座に出演中。