五戸町で無農薬野菜作り。

はる農園 春 義彦さん・ 文子さん

 五戸町で無農薬・無化学肥料の野菜を作っている春義彦さんは、横浜生まれの29歳。震災直前の去年3月はじめ、奥さまの文子さんととともに移り住み、農業を始めました。  なんで、農業? なんで、青森?   まるで〈はる農園〉のごぼうのような、やわらかでやさしい笑顔の春さんご夫妻に、お話をうかがいました。
(左)新米百姓、春さんの手はいまどき珍しいほどたくましく、ナウシカ風に言うと「はたらきものの、きれいな手」。「軍手をはめるのが苦手」で、すぐに真っ黒になってしまうという (右)ビニールハウス内を案内してくれる文子さん

ふとっぱらな生き方

いまは「いかに時間や手間をかけずに成功するか」とか、「費用対効果」とかが大きな声で語られる世の中です。だからその正反対のあり方が、とてもまぶしく映るのです。手間ひまかけて何かをつくる喜びは、本当は誰の胸の中にもあるのに、今は世の中が忙しすぎて、それを忘れているような気がします。
 一生けんめいに働く。手間をかける。時間をかける。自分の頭で考える。うまくいかなくても、その過程を楽しむ。頭も身体も時間も、惜しまない。
 これはある意味「ふとっぱら」な生き方なのではないでしょうか。この「ふとっぱら」が地方に住む私たちの毎日をもっと楽しくするんじゃないか。そう思ったきっかけが、五戸町で無農薬・無化学肥料の野菜をつくっている春義彦さんご夫婦との出会いでした。

2月初旬、はる農園のビニールハウスでは種まきが行われていました。約55坪のハウスは去年12月、近所のベテラン農家さんたちに手伝ってもらって完成させたものです。
 「ハウスにビニール張るのに、屋根の上を走るんですよ。強風の中、60代が。すごい身軽に。忍者か鳶職か!?みたいな(笑)。すごかった」と二人はビニールハウスを建てた時のことを振り返ります。
 外は氷点下ですが、一歩足を踏み入れると、そこは春です。玉ねぎ、ブロッコリー、キャベツ、レタス。黄緑色の小さな小さな芽が、苗床から顔を出している。まだ弱々しいけれど、確かに新しい命が育っていると感じます。
 春さんは横浜出身の29歳、就農2年目の春を迎えようとしています。東日本大震災直前の2011年3月はじめ、奥さまの文子(あやこ)さんととともに五戸町倉石に移り住み、農業を始めました。

なんで、農業? なんで、青森?

ショッピングモールの昼下がり、ごぼうを納品したばかりのお二人とコーヒーを飲みながら話していると、春さんの真っ黒な手が目につきました。ゴツゴツで、爪や肌のすみずみまで土が入りこんだ、たくましい百姓の手を持つ20代は貴重です。「軍手をはめるのが苦手ですぐ真っ黒になる」と照れ笑いしますが、直に土に触れ、土と対話しながら作物を育てる姿勢の表れなのでしょう。もし風の谷のナウシカが居合わせたら「働き者のきれいな手」ってほめるに違いありません。
 春さんはもともと、有機・低農薬野菜や無添加食材の宅配サービス企業「らでぃっしゅぼーや」で営業をしていました。400人近くが働く、一部上場の大きな会社でしたが、しだいに「自分で作ってないものをお客さんにすすめることに違和感を覚えるようになって」退職し、就農を決意します。栃木県のNPO法人「帰農志塾」で農業の基礎を学ぼうと思ったものの、住み込みなうえ、何年で卒業できるかも分からない。躊躇する春さんの背中を「今の年齢じゃないとできないよ。行きなさい!」と押したのは、同じ営業部の先輩だった文子さんでした。
 そして春さんは、農業と経営に必要な全てを2年間で学びます。有機農法のほか、配送、経理など、一から叩きこまれる生活は、「配送に行くことを『下界に行く』って言ってました(笑)」というほど、これまでの生活とはかけ離れた厳しいものでした。

どげんかせんといかん

明るい笑い声を交えながら、はきはきとテンポよく話す文子さんは、青森県藤崎町生まれ。中学入学を機に神奈川に移るまで、りんご畑に囲まれて育ちました。
「ド田舎で何もないのが嫌だって、子どもの頃は都会に憧れたこともあったんですけどね。人間にとって本当に〝豊かな暮らし〟、贅沢な環境は、むしろ都会で望むのは難しいこと。川や森で遊びながら命の循環を学ぶことのできた子ども時代がどんなに恵まれていたか、大人になるまで気づきませんでした」