ポール佐藤の「まちの音まちの色」第4回

紅葉を楽しむ間もなく秋が過ぎ去ってしまった感があるが、体重計のメモリには、確かに「食欲の秋」の痕跡が刻まれている。
 まるで冬眠の準備でもしたかのように腹のお肉がたるんだ。
 とはいえ美味しく食べられるのは健康なしるしと前向きに考えるとしよう。
 私は「三度の飯よりご飯が好き」と冗談を言うほどお米が好きなのだが、先日の社員食堂での話題は、ご飯の炊き方についてのウンチクから日本人論へと飛躍していった。

おかずとご飯を口の中で混ぜ合わせる食べ方、これは日本独特な食文化らしいが、私はまさにこれで、カツ煮だとか焼肉、お刺身や焼魚を口に入れて、すかさずご飯を頬張り好みの味に調節する。
 それは脂っこさやしょっぱさを薄める意味もあるし、同時に味の変化を楽しんでもいる。
 日本食では、食べる人の口の中で最終的に味が確定するわけだ。
 このスタイルは日本文化全体を貫いていて、外国文化を取り入れ、世界に冠たる工業製品を生み出す原動力となっているのかも。

日本の伝統という主食の前では、あらゆる外国文化はおかずの一つにすぎず、気分次第に箸でつままれ、口の中で自在に混ぜ合わされ再調理されてしまう運命にある。
 物まねだとか、独創性が無いとも言われるが、日本人とはもともと、スピリットがニュートラルなアレンジのエキスパートなのだ。
(※横文字多用もそういうこと)

こうした話題もじっくり煮詰めて論文にすれば、私も学者になれるのかもしれないが、食事の締めに沢庵をかじっているうち、思索はプッツリ途切れるのだった。

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