八戸学院大学ジーパン学長 第9回 八戸ほどほどライフ

 何を血迷ったか禁酒して既に2ヶ月経とうとしている。
 騒いだり暴れたりしない極めて健全な飲み方の私であるが、黙っていると一升を飲んでしまうそんな輩の私が、何と禁酒だと。八戸の夜の経済指標に影響がありかねない遺憾な取り組みである。
 いったい何が起きたのか?

 酒を断ってみると極めてすこぶる体調が良い。とりわけ睡眠が深く朝が爽やかだ。
 今まででさえ健康的な早起き運動朝銭湯の八戸朝型ライフスタイルがさらに充実している。これだけ美味しい銘酒に恵まれた八戸、まして日本酒の肴にぴったりの食材に恵まれたこの地で禁酒なぞとは、極楽の竜宮城に紛れ込んでしまった修行僧のような、この上無い苦行に他ならない。
 地酒と肴に恵まれた八戸だからこそ酒と肴の質にこだわり、適量をほどほどに頂くのが、健康的な八戸の生活にはよろしいかと再認識した次第である。
 ほどほど。

 実は八戸の優位性はこの「ほどほど」さ。ほどよい街の規模にあると気づいたのは、大学に腰を落ち着けじっくりとこの街を観察してからだった。
 海外から見ると大都会の八戸であるが(フランスではベスト10以内に入る大都市に相当する)、我々八戸市民は「田舎」だと勝手に決めつけている。しかし、この規模感が良いのだ。
 東京をはじめ日本の大都市は全てが集中しすぎている。アジア諸国の単に人口が多いだけの都市ではなく、あらゆる情報、機能、サービス、チャンスが集中しすぎているのだ。要は集中しすぎて「疲弊する」都市である。
 希望とチャンスは多いのかもしれないが心の安らぎは無い。情報格差がない現在、何も疲れる都市にしがみつき、何かを失い情報やお金を手に入れる必要はないのだ。
 八戸のほどほどさは、まずは人口がほどほど。多過ぎず少なすぎず。多過ぎても何がなんだか分からず、自分の存在意義さえ見失いかねない。大都市でぽつりと自分ひとり、自分は何者で、この大都市で何のために何を果たしているのか。埋もれてしまっては我が声すら誰にも届かない。

 一方、八戸では何かを成したい時に声をあげて主張でき、顔が見える相手に出会え、思いを伝えられる規模の街だ。
 出会いたい人に何とか出会える、程よい大きさのサイズの街。意図的に世間から隠れる事もできる。少し距離を置きたい時は誰にも邪魔されず、考え込みたい時にはそっとしてもらえる社会でもある。まさに程よい付き合いができる街だ。
 東京から3時間弱、程よい距離であり思っているほど遠隔な僻地ではなく、むしろ陸海空と交通アクセスにはとても恵まれている。雪もほどほどであり、冬でもありがたい太陽の恩恵を受ける事が出来る、吹雪のイメージとはかけ離れた「明るい北国」。
 少しパンチの効いた寒さと、瞬間湯沸かし器のような暑い夏と祭り。これほど四季のメリハリに恵まれた美しい土地はないであろう。ほどほどの距離に自然豊かな山あり湖あり。まさに八戸のウリのキーワードは「ほどほどさ」である。

 バランスの良いほどほどさを持った都市は、世界でも珍しいと断言出来る。
 役人は経済指標や所得データを気にするが、ほどほどの現金収入と、地域の恵みと、多様な自給率100%を超える農産物の恩恵でとても幸せな生活を実現出来る地域が八戸だ。
 疲弊する大都市住民に、八戸のほどほどライフスタイルをぜひ売り込みたい。売れない芸術家歓迎、健康を求める移住者歓迎。のびのびと子育てをしたい家族歓迎。ほどよい規模とほどよい活気、ほどよい社会システム、ほどよい環境が新しいシティプロモーションの売り材料であろう。
 ほどほど都市八戸、万歳!

 しかしだ、アスリートという人種にはどうも「ほどよさ」は受け入れられないようである。ゴールへのスイッチが入ってしまうと「ほどほど」とかは許しがたい言葉なのだ。
 今年、自称アスリートな私は、またまたある過酷な自転車競技の目標を設定してしまった。
 これほど「ほどほど」が良いと言っている私がである。目標の大会が終わる9月までは夜の街には近づかないのだ。
 「よせいばいいの」にという歌が昔あったが、いつまでたっても懲りない54歳である。

 この記事は、八戸マガジン『ユキパル18』最新号に掲載されています。お求めは→こちら

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