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『生命の革命が必要なんや』 トランペッター近藤等則(再録)〜2012年12月1日八戸ライブ決定!


近藤等則

都市で演奏する意味が分からなくなってきて

近藤さんは、1993年から活動拠点をオランダ・アムステルダムに置き、日本と往復しながら、「地球を吹く」と題して世界遺産や世界中の大自然に向き合いセッションを始める。
近藤

1990年前後から世界中の大都市のバイブレーションが悪くなった。ミュージシャン的に言えば、ノリがなくなった。大都市に来ている人間が生き生きしなくなったんだな。都市で演奏する意味が分からなくなってきて。
 20世紀は人類史上始まって以来の大都市文明が花開いた時代。70年代に入って、だんだん都市から得られるイマジネーションやインスピレーションがどんどん衰退していった。原因は、そういうものがお金に換えられていったわけだ。
 93年の夏に三週間ぐらい、ヨーロッパツアーをやって、その後にアムステルダムに立ち寄った時に、俺ここに住もうと思ったんだな。
 オランダって国は、人間の自由ってことを認めている国なんだね。
 アムステルダムはヨーロッパでは、ビッグビレッジ=でかい田舎って呼んでいて、100万人ぐらいのコンパクトな都市。建物も16世紀から18世紀の古いものをそのまま残して、運河があって、住んでいて楽なんだ。

聴衆がいない大自然の中で演奏するのは自己の心の内側に向けてということでしょうか?
近藤

自分の内側に向けて演奏するんだったら刑務所の監獄でやりゃいいんだよ(笑)。
 内側、外側もない世界に行きたいからだよ。それを超えた世界、生命が全部一緒になっている世界に行きたいだけなんだよ。人類が初めて音楽を演奏した時のことを想像すれば、はたして人間のために演奏したんだろうか?
 今の音楽というのは、99%人のためで、一番象徴するのがラブソング。愛してるよ、愛していないとか。他の生命のことなんかに関係ないんや。その横で動物を殺しても関係ないんや。それは、西洋の思想であるヒューマニズムで、人間至上主義なんや。そういう音楽は、20世紀でもうええじゃん。アナタとワタシだけの世界じゃなくて、もっと生きものがいる空間全て、その中で自分が生かされている。
 そういう音楽を作って演奏するには、自分の心身が変容しないといけない。身も心も都市的な人工空間から一度解放しなきゃいけない。大自然の中に出るしかないと、俺は思ったんや。

■生命はいつどうなるか分からんから生命や。だから生き生きするんや。

いつ頃からか、自然と人間の関係が変わった。危ないからこそ生命。身体感覚を呼び戻し、21世紀を田舎の時代にしないと日本の国家は滅びる─と近藤さんは言う。
近藤

昭和40年代からじゃないかなぁ。
 俺が生まれ育った所は四国の愛媛・今治で、四国の信仰の対象は石鎚山。ある時、父親に聞いた話。
昭和30年代までは毎年、瀬戸内海の海水で禊ぎをして白装束でお山に登りに行っていた。山ではオシッコさえできないので、頂上目指す前の晩は、水断ちをしていた。
それが昭和40年代になってからレジャー登山が始まり、お山さん信仰が薄れて、車で登って平気で山を汚して帰るようになったそうだ。
俺は毎年、息子たちを海に連れていって朝から晩まで潮の流れが速い対馬海峡の、ちょっと間違ったら生命が危ないというような所で0歳から泳がせた。
海があるのに、プールに行って泳がせている。何でって聞くと「危ないから」と言う。
 生命ってずっと危ないと違うの? 安全な生命ってあるんか? 生きているっていうことは毎日危ないんやで。
 生命はいつどうなるか分からんから生命や。 だから生き生きするんや。
 生命から危ないという要素を取ったら、生命なんかじゃなくなる。
プールと海とは飛び込んだときの身体感覚が全く違うんや。そういう生命力が全然弱くなった。完全にロボット化している。そんなことやったら精神的に滅茶苦茶になるわ。
21世紀は田舎の時代にしないといけないんだ。東京とかの大都市至上主義だったら日本の国家は滅びる。国破れて山河なしや。地方には今からの役割があるんや。

古池や蛙飛び込む水の音 —古池ってのは生命の深層意識

俺たちは蛙なんや。ジャズこそ命がけの個人の自由を求める闘いの音楽、そして日本の仏教の中に本来の自由を見た。

近藤

 
今60歳になるから、40年間いろいろスタイルの変遷はあったが、テーマは一つだよ。
─自由。
 ジャズはフリーダムの自由。60年代には公民権運動やベトナム反戦とヒッピームーブメントがあって、一挙に世界中が「フリー」と言ったんだ。 しかしフリーというのは西洋の概念だと思っていたが、そんなものもぶっとばすような自由が、実は日本の仏教にあった。その仏教を俺はジャズに置き換えようと思ったんや。

近藤等則

 先祖の中に普遍性がなかったら、何で未来の俺たちに普遍性があるんだ? 
ローカルの中にユニバーサルがあるはず。ジャズって何かというと、絶えず変化を求める音楽。ジャズこそ命がけの個人の自由を求める闘いだと思っている。
 人間の能力を思いっきり開発するにはたった一つのルールしかない。……「命がけ」。
古今東西、全てに共通する。命がけでやらないヤツは、それ以上のディープなことは分からない。命がけでやらないヤツは頭でとらえようとする。
 井戸の底に行っていないヤツが、井戸の底がどうやって分かる? 井戸の上から見てああじゃないこうじゃないって推論して言っているだけだ。 井戸ってのは精神の深層意識だよ。
 古池や蛙飛び込む水の音─古池ってのは生命の深層意識。命がけでそこに飛び込む蛙がいるかどうかってこと。
 俺たちは蛙なんや。

生きている内に一番身につけなきゃいけないのは、よいバイブレーションだ。

変わる時ではなく、変えないといけない時代。生命革命が必要なのだ、と。そして「最後に一つアナロジーを言うよ」と語ったこと。
生きているのが夢ならば─。
近藤

地球上に人間として生まれてきたということは、本当に祝福されていると思う。
宇宙の大いなる生命の源があるとして、それを少し分けてもらって俺たちは生まれてきたんや。
 それが原点やで。
 それを忘れて愚痴を言うのは罰当たりだと俺は思う。
 俺が一番腹が立つのは、何で人間はこんな訳の分からない、自分たちが苦しむ社会を作ったのか。
 社会を作るというのはみんなが楽しむための社会を作ることだろう。 サブプライムローンがはじければ、田舎の連中まで影響するわけでしょ。 そんな社会システムって何やね?
 今こそもう一回、新しい革命が起こってもいいはずやで。
 それは市民革命、生命の革命やで。こんなに生命をいじめて金に換金する社会、金の奴隷にされている社会が200年も300年も続くわけがない。
 (大きく変わる時代なのかも知れません、という発言に) 大きく変わる時という言い方は気をつけないといけない。
大きく変わらないといけない時代。 俺たちが変えないといけない。
 自然摂理で変わるんだったら、地球にとって人間が必要かどうか分かんない。もし神さまが人間を必要だとしているなら、違う役割があるのかも知れない。
 インタビューの最後にアナロジーを一つ言うけど─。
 みんなは夜寝て夢を見るよね。朝起きて、悪い夢だったら気持ち悪い、いやな感じが残る。良い夢だったら、朝も気持ちいい感じじゃない?
 そういうバイブレーションの感覚が起きた時にも残っている。
 夢を見ているのが俺たちの人生だとして、夢が覚めたときが死んだ時だとする。今の世界と死後の世界に共通するのは何や?
 この現世で得たお金だとか死後の世界に持って行けないし、せっかくの人生や、死後の世界にもって行けるものがないと、何かね、つまんないんじゃないの。
 夢から持ってこられる、生きている世界と死後の世界に共通するのは、バイブレーションや。生きている内に一番身につけなきゃいけないのは、よいバイブレーションだ。死んだとき、夢から覚めたときにグッドバイブレーションが残っているように生きるんや。


東門

「俺の人生は音楽に捧げた。音楽をさらに作り続ける。これからの10年が俺にとって一番大事な時期」と語った近藤等則さん。オランダに行き始めて丁度丸15年。フェーズが変わってきている予感があると言う。

(インタビューは2008年11月24日茶屋「東門」でライブ終了後に行ったものです。)

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