南郷、木炭にかける青春〜古舘 篤さん

炭焼きって、おしゃれかもしんまい


夏がくれば思い出す…。海? 花火? いいえ、モスキートとバーベキュー!
 経験によると、八戸のお隣、五戸町民は、おそろしくバーベキューが好きです。子ども時代、五戸のいとこの家でバーベキューするのが夏の恒例でした。蚊に刺されるのがなによりキライだった私は、「炭火で焼くとうまいとか言ってさ。フライパンで焼いて家で食べても味いっしょじゃん! 帰りたい!」と、ひそかに思っていました…。
 こんな調子で、アウトドアにもバーベキューにも縁のない人生を送ってきたもやしっ子の私ですが、生まれて初めて「木炭」に興味を持つできごとがありました。
 それは、朝6時の館鼻岸壁朝市。とっちゃ、かっちゃに混じって、珍しく若いメンズがお店をやってる! コーフンしつつ近づいてみると、売っていたのがなんと、木炭だったのです。しかも自家製の。
 「炭焼き」というと、「与作は帰るよ」的な、頬被りをしたごましお頭のおじぃが山小屋にこもっている、立ち上る煙、鳴くカッコウ…みたいなイメージがあったのですが、目の前に立っているのはおじぃでも与作でもなく、澄んだ瞳をした青年です。北斎の「赤富士」のキャップを被っているところにも、こだわりが光ります。
 …かっこいい。もしかして炭焼きって今、おしゃれかもしんまい!
 てなことを思った私たちは、その青年、古舘篤さん25歳が炭を焼いている小屋へ連れて行ってもらう約束をしました。


八戸市内から車で20分。待ち合わせ場所は、篤さんの自宅「古舘酒店」。「すぐ分かると思いますよ」と言われて地図も見ずに訪ねて行きましたが、びっくりするほどすぐ見つかりました(笑)。南郷区・中野に1軒だけの商店では、お酒のほかにお菓子やおかず、懐かしのアイドルプロマイドも売っています。小さい頃に通った駄菓子屋みたいで、つい長居してしまいそうでしたが、心をオニにして出発!
 篤さん愛用の軽トラの後をついて行くこと2分、登り坂になった農道のわきに、小さな茅葺の小屋が見えます。
 …小屋、近っ! 「与作」的イメージにそぐわない近さですが、そのわけは「かなり雪が積もるので、あまり山の奥に作ると仕事ができなくなっちゃうんで」 
 そう。炭焼きはおもに冬の仕事なのです。石炭や石油が定着する20世紀半ばまでは、炭は日本人の生活に欠かせない燃料。農閑期の農村の収入源でした。篤さんの師匠で親戚の古舘小次郎さん(おん歳82歳)いわく、のら仕事がひと段落したら近くの山の木を切って、出稼ぎ代わりに炭を焼き、八戸のまちなんかに卸していたそうです。
 それから、木は春から秋にかけて成長しますが、冬の間は地中から水を吸い上げるのをやめて休みます。だから秋・冬の木は乾燥していて燃えやすい。そして枝や木を切ることは、山の手入れにもなります。

ところで、炭ってどうやって作るんだろう? 萱で覆われた炭焼き小屋に入ると、中は3畳ほどの空間。その奥に、窯。窯の入口は幅は40㎝くらいで、奥行きは「7尺」と小次郎さん。1尺は30㎝くらいなので、2m10㎝もあるってことです。細長いドーム状で土でできていて、古墳を思わせます。
 小屋と窯は、2011年11月に約1ヶ月かけて完成させたもの。篤さんが初めて炭を焼いたのは、12月のことでした。
 手順は、こうです。山から切り出したアカシアやナラを隙間なく窯に詰め、入口の木に火をつける。空気が入ると燃えすぎて灰になるから、密閉して蒸し焼きに。窯に火が回るまで半日かかり、3日間焼き続けて、4日目の朝に煙が止まる。取り出せる温度になるまで、さらに一週間待つ。
 手間も時間もかかるので、「すぐにあきらめるだろう」と、小次郎さんはひそかに思っていたようですが、なんのなんの。
 「このあいだ、割れて売りものにならない炭で肉を焼いたら、うまくて自分でもびっくりしたんですよ(笑)」
 しっかりハマッてるようす。やっぱり炭焼きって今、おしゃれかもしんまい!

「中野を元気にしたいんです。田舎だから、田舎の風景そのままを生かしてできることをしたい」。
 その思いはしっかり伝わってきた。


南郷木炭

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